なぜ赤岩山のパラグライダースクール周辺の変遷に興味を持ったのか?
私はパラグライダーが趣味で、宇都宮の赤岩山のふもとにあるスカイパーク宇都宮パラグライダースクール(以下スカイパーク)に通っています。 赤岩山南側のふもとには現在とても広いパラグライダーの練習斜面(ゲレンデ)がありますが、かつてここは栗林(おそらく、栗農園という意味)だったそうです。2023年春には西隣にあったAKAIWAパラグライダースクールが閉校し、そのスクールのゲレンデもスカイパークで使えるよう境界の木を伐りスカイパークのゲレンデが拡大されました。私がパラグライダーを始めたここ数年間だけでも、変化している様子を見るうちに、赤岩山南側斜面のパラグライダースクール周辺の変遷に興味がわき、国土地理院が公開している空中写真を用いて変遷を調べてみました。
最古と最新の空中写真を比較
国土地理院が公開している空中写真で赤岩山周辺を調べると、最古の写真は1946年3月24日に米軍が撮影した白黒写真で、それから現在に至るまでの20枚以上の写真が公開されています。 最新の写真はGoogle Earthが公開している写真のほうが新しいため、こちらを参考にすることにしました。
まずは、新しい写真と古い写真で、それぞれ同じ場所であることがわかる目印を設定するため、図1で最新と最古の空中写真を比較して変化していない箇所を探します。 空中写真では山頂そのものはわかりづらいので、地元で馬頭岩(参考:NPO法人 古賀志山を守ろう会)といわれている図1の赤色破線部分の岩を一つ目の目印として記号”a”とすることにします。さらに、ふもとに注目すると、記号”b”、 “c”、”d”で示す畑が1946年から同じ区画で残っていることがわかりますので、これらも目印とします。 図中の黄色破線は畑の周りの道を示しています。これらa~bの目印を頼りに、赤岩山周辺の変遷を各時代の空中写真で見ていきます。
1946年の写真を見ると、スカイパークのゲレンデ部分は、点在している黒い点が木だとすると林という状態でではなさそうです。また、木は点在しているので農園として管理されているわけではなく生えている木は雑木の可能性が高そうです。いずれにせよこの時代は山頂付近まではげ山に近い状態だったように見えます。

- 1946/3/24画像リンク: USA-M83-A-6-178(400dip画像)
国土地理院で公開されている赤岩山周辺の写真は、撮影日が近かったり同じ日に撮られていたりと、あまり変化がない写真もあるのですべてを紹介しませんが、古い順から紹介します。
1940年代
1946年以後の1940年代の変化を見てみます。
図2の1947年の写真は図1の1946年と比べると鮮明ではあるものの山の状況はほとんど変化は無いようです。
1946年の写真にもうっすらと境が写っているように見えますが、1949年の写真には境界線の並木のようなものがクッキリと見えます。この境界線の目印”c”に近い部分は後にAKAIWAパラグライダースクール(2023年閉校)とスカイパークの境となり、今でも一部が残ってます。斜面全体ははげ山のままですね。

- 1947/11/17画像リンク: USA-R561-67(400dpi画像)
- 1947/1/7画像リンク: USA-R518-54(400dpi画像)
1960年代
1950年代の写真は無いので、次は1960年代の紹介です。
図3左側の1961年の写真は、1940年代からの変化は雑木の背が高くなったように見える以外は大きな変化はありませんが、図3右の1964年の写真はスカイパークのゲレンデの東側が整地されているように見えます。

- 1961/7/27画像リンク: MKT612-C4-11(400dpi画像)
- 1967/5/27画像リンク: MKT641X-C3-3(400dpi画像)
図4-1左側の1966年の写真では今のスカイパークがあるあたりが整地され畑になっているように見えます。
1968年になると今のゲレンデ部分の下半分を拡大(図4-2)すると複数の等高線のような線ができており畑ができているのかなと推測できます。さらに、図4-1右側枠の小さな2010年の写真に示すようにAKAIWAパラグライダースクール(左側)とスカイパーク(右側)との境界がなぜかクランク状になっていましたが、このクランクも確認でき1968年から続いていた境界線だったようですね。


- 1966/10/29画像リンク: MKT662X-C3-15(400dpi画像)
- 1968/5/1画像リンク: MKT681X-C3-3(400dpi画像)
1970~1980年代
1970年代に入り1975年の空中写真はカラー写真が用いられていますが、1975年より後は2000年までまた白黒写真に戻ります。
山肌の変化は1968年からあまり大きな変化は無いように見えますが、1982年の写真には今まで無かった林道が写っています。現在、林道のすぐ下までスクールのゲレンデが広がっていますから、今のゲレンデ部分すべてが畑だったわけではないようです。図5右の記号”d”の馬頭岩下の山肌に斜面に沿った斜めの線が見えますので、植林されているように推測できます。

1986年になると、ゲレンデ東側中央の赤丸部分に木が見えますが、これが栗の木かな・・・

- 1975/1/15画像リンク: CKT7410-C6A-4(400dpi画像)
- 1982/3/4画像リンク: KT816X-C3-3(400dpi画像)
- 1986/5/10画像リンク: KT861X-C9-17(400dpi画像)
1990年代
1990年代になるとはっきりわかる変化が出てきます。
図7の2枚の写真は1993年の同じ日に撮影されています。赤岩山の山頂付近に木が伐採され箇所が現れ、この箇所について左右の写真を比較すると、左側の写真には無い扇状のものが右側の写真では写っており、大きさからおそらくパラグライダーだと思います。今は離陸用に鉄パイプと板構成された斜面ができていますが、それはまだ無いように見えます。また、パラグライダーを広げているところから助走するのであれば、離陸のための助走区間がとても短そうに見えるのでパラグライダースクールを作る前のテスト段階の時期だったのかもしれません。
また、左側の写真の下部に赤丸で示している辺りに山全体に広がる木とは少し違った木が生えているように見えますが、これが栗林ではないかなと推測しています。

- 1993/10/11(1/2)画像リンク: KT931X-C7-3(400dpi画像)
- 1993/10/11(2/2)画像リンク: KT931X-C7-4(400dpi画像)
2000年~現在
2000年になると赤岩山ふもとの斜面に隣接して2つのパラグライダースクールのゲレンデができます。
そして、赤岩山の山頂付近に右からスカイパーク、AKAIWAパラグライダースクールの離陸場(テイクオフ)ができています。図8左の2000年の写真では、スカイパークのテイクオフが図8右側の2010年の位置と異なりますが、もともとは山頂付近にテイクオフを設置していたんですね。

- 2000/11/5画像リンク: KT20001X-C6-12(400dpi画像)
- 2010/4/26画像リンク: CKT20103-C15-21(400dpi画像)
図9の左側の2014年は、図8右側の2010年の写真とあまり変化がありませんが、図9右側の2024年の写真と比較すると、二つのパラグライダースクールの境界にあった並木が無くなり、隣接しあっていたゲレンデが一つにまとまっています。ちなみに境界の並木は2023年の秋に伐採されました。今でもゲレンデの写真上側に残っている境界の雑木も伐採されつつあるなど、少しずづ変化しつづけています。

- 2014/5/4画像リンク: CKT20141X-C3-26(400dpi画像)
- 2024/4/28画像リンク: CKT20241-C10-33(400dpi画像)
まとめ
私が普段お世話になっている赤岩山のパラグライダースクール周辺に焦点をあて、国土地理院の空中写真を用いて戦後~現在までの変遷を調べてみました。
国土地理院が公開している空中写真は、戦前のものは撮影されている場所はかなり限られますが、戦後以降は日本全国の空中写真が閲覧できるようです。
時代変化が大きかったり、古い古い写真で像度が低い場合は新旧写真の比較で同じ場所を見ているか否かわからなくなることがありますが、今回のように目印を設定することでわかりやすく新旧写真を比較できると思います。
また、畑や田んぼが写っていいる場合は、今回のようにそれらが目印にできる可能性が高いかもしれません。
同じ方法で、皆さんの実家周辺の変遷など調べてみると面白いかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。